吐き捨て

吐き捨て場。気が向いたらジェンダーとか発達障害とか読んだ本とかの話をします。

強い発達障害者になりたかったけど無理だった生きづらい女の話

自分は大人になってから発達障害診断が出たというアレである。
ストラテラ120mg/日を処方されている。コンサータは処方されたことはない。

 

という前置きのうえで、発達障害で女であるということについてとりとめもなく考えている事を書き捨てていこうと思う。役に立つことは多分何もない。こういうこと考えてる奴もいるんだなと思って読み流すことをお勧めする。あとそのうち恥ずかしくなって推敲改稿するかもしれない。笑って許してほしい。

 

所謂強い発達障害者になりたかった。
フィクションだが金田一蓮十郎先生の「ラララ」を読んだことのある人はイメージしてみてほしい。石村さん、アレが理想の強い女性。美しくサッパリしていてブレない。

漫画としてもめちゃくちゃ面白いのでお勧めです。
自分の発達過程における口述コミュニケーションは更年期の母親と無関心な父親によって割と放置されていたように思う。自分の家族がこんなに真摯だったら良かったのになあ。

 

顧みて自分の姿を見れば醜い、周囲に理解を求める権利がないと反射的に思ってしまう、スキルセットと職場のポジションの不整合。っていうかスキルセットって何それ。お頭の出来についてはギリギリWAISの知能指数が高めだったということで尊厳を保ってるようなものである。(クソの役にも立たないものだけれど、まあ数値が高い=良いみたいな単純な尺度で考えると受けといて損はなかったかなと思う。) ご多分に漏れず作動記憶が弱い。学校の集団ダンスで一人だけまごついた動きをするタイプだった。無理。しかも社会的腕力がない、社会的には多分弱者の類である。何とかたつきを得てきたが人とコミュニケーションによる関係を維持するのが苦手。親とやんわり不和。聴覚・嗅覚が過敏。そして自分が一番うるさくて臭い気がする。

これ割と詰みなのでは?と思いながら生きている。

 

さてこれではまずいなと思いながら発達障害関連のブログだとか、書籍だとかを読み漁ってみたが自分は大した能力が無いので異能のある発達障害とは言えそうにない。銀の弾丸なんか無いと知りながら藁をもつかむ思いで発達障害関連の書籍をいくつか読むうちに「女性のADHD」なる本を読んだ。

身体が女性なのは動かしようのない事実なので何か一つ二つ役立つものがあれば良いかなと思ったためだ。

結論から言うとそれなりに読みやすく良著だとは思うのだが、やはり自分の信条とADHD向けの行動規範は非常に相性が悪いと再認識する結果になった。
人の言うことに逆らいたくなる悪癖も手伝っている気はする。


自分の信条は
「独りで生きてそのうちポックリ死ぬ」
「パートナーは作りたくない」
「出来るだけ他人に迷惑をかけたくない」
「女性性を武器にしたくない(っていうか醜いのでできない)」なのだが、それとまttttttttttttttったく噛み合わない。

この信条は多分普通の人間として受けた個人主義的な教育と実家の古めの価値観の人間との軋轢が悪魔合体して出来た物だと思うが、これと自分の人格や尊厳が切り離せなくなっている。

過干渉気味の母親にべったり仕込まれたので他人に望まれる形でふるまわなければいけないと思って行動する、疲れる、ボロが出る、失望されるのルーチンを繰り返している。
そして関係をスッパリ断ちたくなる(自分の事を境界性が上手く認識できていないフレンズの仲間かなと思っていた時期もあった。多分その傾向あるんじゃないか?と今でも思っている)

 

恥を忍んでそのへんを自己開示する度「堂々巡りじゃん」と言われまくってきたが、自分でもどうすればその規範やままならなさや怒りを手放して自己同一性を保てるのかわからなくて困っている。「私」って何だ?と思っていると夜眠れなくなる。生理前とか特にひどい。ティーンならまだしもこれで成人済だから笑えない。

しかも何を喋っていても「自分の意思は?何がしたいの?」とか言われると自動で涙腺がぶっ壊れるおちゃめな機能がついている。勘弁してほしい。

中でもこの本について嫌だなと思ってしまったのが「目標はおっちょこちょいでかわいい人」という部分だった。
前提の部分を踏まえた例の一つなんだろう。わかるわかる。
だが身体が女性の発達障害で、その類型を演じてシスヘテロ男性女性の間でやっていくことに苦痛を感じている人間には救いは無いのだろうか。
他人から個人的な好意を向けられて距離を詰められると裸足で逃げ出したくなる人間はどうやって生きていったらいいのだろうか。

まだ答えが見つからない。

 

さて何の話だったか。「強い発達障害者になりたい」だったか。
土台無理だったのだが、今でも強い発達障害で世間でサバイブしている人間に一定の羨望を憶えてしまう。
どうしたら楽に生きられるのか考えるようになっただけでも診断が下る前からしたら進歩だとは思うのだが、それでも生きるのはしんどい。
生きていてすみませんと思いながら今日もこういう無駄な文章を綴っている。