吐き捨て

吐き捨て場。気が向いたらジェンダーとか発達障害とか読んだ本とかの話をします。

価値観断絶リトマス試験紙とフラッシュバック

久々に書きます。

平成最後の年の瀬、生き延びてしまいました。ホットな年の瀬でしたね。

生き延びてしまうと色んなものを目にするわけで、話題のコンテンツとかもまあ気にしてみるわけです。

どうにも腹の中にとどめておくことができない我慢の利かないやつなので勢いづいて書いてネットの海に放流しとこうと思います。オタクが隠せないけど笑って許していただきたい。

 

ガリ君、すごかったですね。

この時点であとに続く話題はインターネッツの諸兄ならもうお察しのことでしょう。それもう見た。な人はもっといい記事に辿り着くことを祈っています。

~~以下オタクの早口芸~~

家庭とかいう最少単位の社会での役割の押し付けと「それ本人の宣言だけど本当に本人の意思か?」みたいな問題と善意の濁流で地獄と化したリプライ欄。あとあの写真いちいちセッティングして撮って続けるの単純にコンテンツメーカーとしてこう、破格に優秀だな~!これ無料で観れていいの~!??!?!?って思ったりもします。「始める」ことは簡単でも「継続する」がめっちゃくちゃ大変だと思うので。どこから時間とか資金とかやる気とか諸々の原資が出てんだろう。マジですごい。コンテンツの中身も地獄ならこれが無料で観れるっていうメタコンテンツ消費地獄が見事なハーモニーをもって演出されているわけです。地獄の演出にソツが無さすぎる。余談だけどキャラクターの関係性コンテンツとして見ると後々の事色々妄想出来てまた違った良さがありますよね。

~~以上オタクの早口芸~~

 

まあ善意の地獄とか家庭とかいう最少単位の社会での役割の押し付けとか、もう書いてるひといっぱいいるだろうと思うんでこの際書きません。

あのリプライ欄が地獄に見える人間とそうでない人間との断絶って結構根深いし、世間話のつもりで「あれどう思った?」って後者から訊かれることさえ前者にはつらく感じることもあるなあと思いました、そういうフラッシュバックがあったというメモだけしとこうという実にどうでもいい回想です。

 

かつて職場の上司との複数回の面談で「悩みとかない?個人的なやつでもいいし君の問題を解決したくて訊いている」って再三言われたので嫌な予感がして「アドラー心理学好きな人ですかね?」って確認したわけですよ。「いや違う、あれ落ち込んでる状態の人間には向いてないでしょ」って言われたんで気を緩めたのが間違いだったなって思います。

個人的な事情で(発達障害とか実家との軋轢とかで)いつも心がしんどいですみたいな話をしたら「俺から見ると苦しんでるって言うか楽しんでいるように見える。状況打破する気が無いよね」的なこと言われたの、多分向こう10年くらい忘れないと思う。

まあ出来が悪くてスケジュール管理もド下手糞、いつもなんか疲れてる頭の悪い部下を持ったという点においては同情します。多分ね、悩みを解決してやろうという台詞も言った時点では嘘ではなかったんだと思う。今でもそこは信じたい。信じさせてくれ。

でも思うんですよ。まともに自我を獲得してさらにまともなご家庭を築き生産的な(わざとこの言い方をしています。詰ってくれていいです)いのちを全うしてる人間、そうでない人間の地雷自体気づかない。それどころか人の心の一番やわい部分を開示させた上で無自覚にザクザクにしてくることもある。そこまで踏み込んどいて人間の関係性に後戻りできない部分があるとか考えた事もなさそう。嫉妬しますね正直。

加えて言えば自分がまた別のつらさを持った人にそういう振る舞いをしてないとも言い切れない。人のやわい部分ギタギタにして気づいてないとか絶対ある。なんたって私は空気が読めない。のでいつかしっぺ返しがいつか来るだろうと思うしそれが怖いから人間関係をホッピングしまくる訳です。クソ野郎の一丁上がりですね。

せめて公正であろうとするけれど、そうあろうとすると私は人のそういう振る舞いを根に持つし、翻って人から許されることも望んではならないんだろうな!さよならだけが人生だ!という苦々しいお気持ちを得ました。一説には「許すは神の業」らしいしもう無間地獄しかないな。

 

そういうフラッシュバックとともに迎えた新年ですが、そこそこに生き延びるか電源引っこ抜くみたいに終わるかどちらかがいいなと思います。後者の場合出来るだけ借家は綺麗な状態だとベターだな。

残念ながら、生きてます。

結局「女性エンジニア少ない問題の記事」って何が問題だったのか

自分は女性エンジニアになろうとしていましたが自分のぎじゅつりょくの低さを痛感したり社会への適応に関して挫折を味わったりしている割と詰んでる人間です。つらい。

「女性エンジニア少ない問題」を解決するために、機械学習で男性エンジニアを女性に変換する - ログミーTech(テック)

さて今更読みました。この描き起こし記事が誇張や重要部の省略を含んでいない前提でダラダラ書いて行こうと思います。

読んだ感想と炎上について

まず機械学習の方向性の一つとしては面白い試みだと思いました。

もしかしたら今盛り上がって少し落ち着いたかな?といった具合のvtuber界隈やVRchatとかで注目されるかもしれない。社会に適合できないコミュ障ダメウーマンとしてコミュニケーションの最適化といった研究方向としても面白いものです。上司の指示とか機械学習AIによる変換を通したら箇条書きにして期限付きの連想配列で渡してくれないかなとか夢を見たりもします。こちらの意見を相手を刺激しない形で伝えてくれる変換機能とかもいつか実現してほしい。

 ただその一方で広大なインターネッツに公開するには「課題」として定義された部分があまりにも単純化されすぎていて、これは火中の栗を拾うようなものだとも思いました。

まず炎上の下地としては2点、この記事が開発者ではない人間も読めるプラットフォームになっている事と、発表者の発表内容を「社会的にはどう読めるか」という視点からレビューする人間がいなかった事とが挙げられるように思います。(6/27 追記 実はY社にはレビュアーいるみたいな噂を聞きました。間違ってたらすみません。)

そして火種と呼ぶべき部分はこの発表において多分核心ではない部分でしょう。

キャッチーな発表に仕上げるためかはたまた尺の都合か分かりませんが、課題を解決すべき理由として「女性がいないと男性のやる気が出ない」「女性は女子トークが出来ない問題がある」と非常に限定的なものを内容として選び、「女性」「男性」と大きくて燃えやすいラベルをくっつけてしまったのが火種の部分だったと思います。

この発表は誰向けなのか?

この記事の元になった発表は「30歳以下のエンジニアによる30歳以下のエンジニアのための技術カンファレンスである」イベントで発表されたものだそうです。

つまりこの発表内容のターゲットは「30歳以下のエンジニア」であって、日々インターネッツで激論を交わしているジェンダー界隈の先生方とかフェミニストの先生方やアンチフェミの先生方とかではなく、(おそらくは)「そういう研究もあるのか~」と思う人間だったわけです。

ところがこの記事はログインとかしなくても誰でも見れますね(2018/6/25 23:55現在)。炎上の下地としてここが重要です。

社名と所属出して講演してるのにレビュアーとかいなかったのか?

ついでに社名を出して講演しているという部分も炎上の下地になっているような気がします。まあ有数の大企業ですよね。めちゃくちゃに有名企業です。そこの「データプラットフォーム部」なる部署にいらっしゃる方の発表ということですがレビュアーはいなかったのかなというのを考えてみます。ただもうまとめるとこういう参加者無料のイベントでの発表にいちいち社内のからレビュアーをつける訳にもいかないだろうと思います。プレスリリースならいざ知らず、無料イベントで自前で機械学習やってる人の研究発表にそんなリソース割かないでしょう。日本語圏じゃなかったらどうかは知りませんが。

巷には「大企業のデータを扱う人間がそんなんでいいのか?」という研究倫理どうなん的な批判を見かけます。しかし序文で本人がちらっと触れているように「データ解析の基盤づくりの部署」「今はまったくデータ解析はできない」そうなのでこの筋は的外れかなと思います。無論その倫理は研究者には必要不可欠なものですが、発表者がデータ解析や分析で食ってる人でも社会学者でもないということを念頭に置く必要があります。

女性エンジニアが少ないのは何が問題なのか

さてこの記事が誰でも読める状態で、世間の与太話やニュースまとめと同じように広く人々に読まれたということを踏まえつつ、この記事を日本語の読み物として読むなら何が問題だったのだろうかという点について考えます。

課題として出てきた「女性エンジニアが少ない問題」とは何が問題なのか、そこの説明があまりにも主語が大きく、単純化されすぎていたために燃えたのだろうと推測されます。

「業界を志望している母数から男女比統計を取って男性に対して女性だけ明らかに採用数が少ない、これは雇用機会に不平等がある、だから問題なのだ」とかそういう論点から行けば燃えなかっただろうなとも思います。「個人的には女性がいるとやる気が出るのでこういう女性を想定して振る舞いをエミュレートしてみる方向で研究してみました!でも将来的にはこういうバリエーションも考えているよ!」というエクスキューズが挟まれるべきであったのかもしれないとも。

 「業界に女性が少ない問題」って言ってみればフワフワしたでっかい問題提起で、課題として挙げるならその業種に志望する人間の母数男女比と志願者の何らかの成績をサンプリングして女性だけ(あるいは今回触れませんが逆もテーマとして十分に考え得るものでしょう)身体の性別あるいはジェンダーのみを理由に落とされまくってるのが明らかだ!とか説明して見せる必要があるんじゃないかなと思います。育成にコストが掛かるという部分の説明は丁寧なのにそこが端折られたように読めてしまうのが本当に手痛い部分だったなと。

 ただあくまで推測ですが多分発表した方は「そこが核心ではないんだ!!!」とお思いかなとも、動機は置いといて研究成果を見てほしいだろうなとも思います。

しかしながら誰にでも読める状態の書き起こし記事となると「この発表は誰を対象にしたものか」「これは研究成果を見てほしい記事です」と読み手をコントロールすることは難しく、特に「女性をラベルとして扱った」という部分ばかり先行します。コミュニケーションは受け手側の解釈が最終的な結果だとはよく言ったものです。

結果としてめっちゃ燃えましたね。恥ずかしながら私も最初序文を見落として読んで実にヒリヒリしました。女子トークって何なんよとか思いましたね。多分世が世なら半年ROMれと言われても仕方ないでしょう。

個人的な総括

最初書き起こし記事を読んだときジェンダーにヒリつく自分と技術の話面白いなと思う自分とで割と混乱を起こしました。技術としては面白い、でも社会的にはこの動機は削除するかエクスキューズをつけたほうが幾分穏当な記事になるだろう。そういう乖離した感想を持ちました。

こういうイベントとか行く気力無いクソコミュ障ヘタレだけど興味ある人間(エンジニアとは言い張れない)にとっては書き起こし記事は非常に有り難いし、こういう会社の利益にもならなさそうな技術系のイベントで発表内容にいちいちレビュアーつけんの?そのコストどっから絞り出せるん?誰がやんの?って観点からもこの衝突を未然に防ぐのはそう容易ではなかったでしょう。

一方で社名を背負ったプロモで「女性」をラベリングに使って炎上した話、枚挙に暇がありません。午後ティー女子の大炎上からまだ2カ月くらい?だったと思います。

そういう意味では「発表時点のターゲットと記事を閲覧できる人間の層の違い」「エンジニアと非エンジニアの違い」「ジェンダーを人間のラベルとして扱うことのセンシティブさ(或いは時代錯誤感と言った方が正しいのだろうか)」の絡み合った興味ぶかい事件だったように思います。

この炎上の原因をエンジニア(ひいては社会の)のジェンダー教育の不備に求めるか、エンジニアと非エンジニアの技術発表に対する姿勢の違いに求めるか、どちらか一方だけが責められるべきだとは言えないように思います。

本当はそこまで学習してエンジニア向け内容と非エンジニア向け内容を分けて書き起こしするなり査読に近い事やって内容アクセプトなりリジェクトなりしてくれるAIが出てくれるのが理想っちゃ理想だと思いますが、何年待てばいいんでしょうね。

 

6/27追記 今更の今更なんですがわざわざ私が書かなくても以下のリンク先に素晴らしく丁寧にまとめてありました。特定のジェンダーの人間が特定の業種に少ないのって結局何が問題なのかもキッチリ述べてあっていいなと思います。車輪ですらないものを再発明してしまった。

 

Latest topics > 女性エンジニア少ない問題を解決する話、の何が問題なのか - outsider reflex

読書感想の羅列

買った。著者のブログを読んでたので買いました。
恐る恐る開いて読みだしたら止まらなくなって一気に読了しました。
語り口がいつものブログのように軽妙で気負わず読ませる文体だなと感じます。

自分もご多分に漏れず諸々の理由によって自己啓発本が嫌いなんですが、時々挟まる著者の実体験(として語られている)部分でそうそうそういうのあったししんどかった…と勝手に泣きながら読みました。
自分の今までを振り返って生きづらさや焦燥感ややるせなさや怒りのフラッシュバックにぶちのめされても読んで損はなかったと思いました。
こういった仕事術的なアレ、だいたい書いた人の主観とか個人的なハックに終始しがちだと思っていたのだけれど、
解説できちんと精神科医の方による現在の医学的知見からの但し書きがあって読後に「いやエッセイ読まされただけやん!!!!!知らんがな!!!」みたいなガックリ感もなかった。

 

決して読んだ発達障碍者すべてに対する銀の弾丸ではないけれど、こういう工夫とかでやっていきましょうという提案なのだと読める本だと思います。

 

個人的にはこの本を読んでいて自分もそうだった!っていう部分とこの人のやり方は多分できないな…という部分がそれぞれありました。個人差ってやつですね。

また、やっぱり一口に発達障害とまとめられてそうでない人間に認識されることは割と重大な誤認を生みがちだなと思ったり、そうやって一般化して推測することで成り立つ部族もあるんだろうなと再認識したりしました。

 

ワーッと勢いで書き連ねてしまいました。
女の発達障害と茶番センサーと人間関係をホッピングしたくなる話のあたりを読んでたら何かもぞもぞ考えが湧いてきたので何回かこの本を読み返して気が向いたら書き捨てるかもしれません。

強い発達障害者になりたかったけど無理だった生きづらい女の話

自分は大人になってから発達障害診断が出たというアレである。
ストラテラ120mg/日を処方されている。コンサータは処方されたことはない。

 

という前置きのうえで、発達障害で女であるということについてとりとめもなく考えている事を書き捨てていこうと思う。役に立つことは多分何もない。こういうこと考えてる奴もいるんだなと思って読み流すことをお勧めする。あとそのうち恥ずかしくなって推敲改稿するかもしれない。笑って許してほしい。

 

所謂強い発達障害者になりたかった。
フィクションだが金田一蓮十郎先生の「ラララ」を読んだことのある人はイメージしてみてほしい。石村さん、アレが理想の強い女性。美しくサッパリしていてブレない。

漫画としてもめちゃくちゃ面白いのでお勧めです。
自分の発達過程における口述コミュニケーションは更年期の母親と無関心な父親によって割と放置されていたように思う。自分の家族がこんなに真摯だったら良かったのになあ。

 

顧みて自分の姿を見れば醜い、周囲に理解を求める権利がないと反射的に思ってしまう、スキルセットと職場のポジションの不整合。っていうかスキルセットって何それ。お頭の出来についてはギリギリWAISの知能指数が高めだったということで尊厳を保ってるようなものである。(クソの役にも立たないものだけれど、まあ数値が高い=良いみたいな単純な尺度で考えると受けといて損はなかったかなと思う。) ご多分に漏れず作動記憶が弱い。学校の集団ダンスで一人だけまごついた動きをするタイプだった。無理。しかも社会的腕力がない、社会的には多分弱者の類である。何とかたつきを得てきたが人とコミュニケーションによる関係を維持するのが苦手。親とやんわり不和。聴覚・嗅覚が過敏。そして自分が一番うるさくて臭い気がする。

これ割と詰みなのでは?と思いながら生きている。

 

さてこれではまずいなと思いながら発達障害関連のブログだとか、書籍だとかを読み漁ってみたが自分は大した能力が無いので異能のある発達障害とは言えそうにない。銀の弾丸なんか無いと知りながら藁をもつかむ思いで発達障害関連の書籍をいくつか読むうちに「女性のADHD」なる本を読んだ。

身体が女性なのは動かしようのない事実なので何か一つ二つ役立つものがあれば良いかなと思ったためだ。

結論から言うとそれなりに読みやすく良著だとは思うのだが、やはり自分の信条とADHD向けの行動規範は非常に相性が悪いと再認識する結果になった。
人の言うことに逆らいたくなる悪癖も手伝っている気はする。


自分の信条は
「独りで生きてそのうちポックリ死ぬ」
「パートナーは作りたくない」
「出来るだけ他人に迷惑をかけたくない」
「女性性を武器にしたくない(っていうか醜いのでできない)」なのだが、それとまttttttttttttttったく噛み合わない。

この信条は多分普通の人間として受けた個人主義的な教育と実家の古めの価値観の人間との軋轢が悪魔合体して出来た物だと思うが、これと自分の人格や尊厳が切り離せなくなっている。

過干渉気味の母親にべったり仕込まれたので他人に望まれる形でふるまわなければいけないと思って行動する、疲れる、ボロが出る、失望されるのルーチンを繰り返している。
そして関係をスッパリ断ちたくなる(自分の事を境界性が上手く認識できていないフレンズの仲間かなと思っていた時期もあった。多分その傾向あるんじゃないか?と今でも思っている)

 

恥を忍んでそのへんを自己開示する度「堂々巡りじゃん」と言われまくってきたが、自分でもどうすればその規範やままならなさや怒りを手放して自己同一性を保てるのかわからなくて困っている。「私」って何だ?と思っていると夜眠れなくなる。生理前とか特にひどい。ティーンならまだしもこれで成人済だから笑えない。

しかも何を喋っていても「自分の意思は?何がしたいの?」とか言われると自動で涙腺がぶっ壊れるおちゃめな機能がついている。勘弁してほしい。

中でもこの本について嫌だなと思ってしまったのが「目標はおっちょこちょいでかわいい人」という部分だった。
前提の部分を踏まえた例の一つなんだろう。わかるわかる。
だが身体が女性の発達障害で、その類型を演じてシスヘテロ男性女性の間でやっていくことに苦痛を感じている人間には救いは無いのだろうか。
他人から個人的な好意を向けられて距離を詰められると裸足で逃げ出したくなる人間はどうやって生きていったらいいのだろうか。

まだ答えが見つからない。

 

さて何の話だったか。「強い発達障害者になりたい」だったか。
土台無理だったのだが、今でも強い発達障害で世間でサバイブしている人間に一定の羨望を憶えてしまう。
どうしたら楽に生きられるのか考えるようになっただけでも診断が下る前からしたら進歩だとは思うのだが、それでも生きるのはしんどい。
生きていてすみませんと思いながら今日もこういう無駄な文章を綴っている。

MeToo運動に関して思った話

ツイッターで見かけるMeToo運動に関して、まずは声を上げる機会が出来たらしいことは実に喜ばしいと思う。被害をこうむった人間の行動の選択肢が増えたということだろうからだ。

最初は海外からだったが、日本語でもその運動は広まってきたように見える。

 

とりとめもなく考えていたのだが、結論から言うとやっぱり性被害やあらゆる軋轢の解決策として、性や欲望に関する一定水準の教育は必要だなと思う。
それはご家庭でできることなのか?自分はYesとは言えないなと思う。

 

考えたことを書き捨てて行こうと思う。

前提として私は身体が女性で、何度か独りで泥酔して危ない目に遭ったことがある程度の人間だ。セクシュアリティは今のところアセクシャル寄りのバイセクシャルである。基本的に他人と物理的に接触したくない。そういう人間が書いているのだという前提を宣言しておかないとフェアじゃないなと思ったので書いておく。

 

まず、ここで声を上げているのが女性ばかりというのが気になる。
本当は性別関係なく(特に立場の不均衡があれば)男性であってもそういう被害に遭いうるはずだと自分の主観で思っているのだが、なかなかそういう声は見つからない。

声を上げたい男性もいるのではないだろうか。このタグが「性被害に遭った『女性』だけのもの」のように見えてしまうのは、私の勘違いだろうか。(勘違いだったらごめんなさい。)

 

次に、この運動は「声を上げる」というものであって、何らかの法律や条例を作りましょうという所には直接は繋がらないということだ。そこに至るにはもうワンアクション必要だと思うが(例えば「こういう条例作りましょう」という署名を集めるとか)、今のところそういうものは見えない。これではお気持ちの表明で終わってしまうなと思ったり、あるいはみんなそういう法律や条例は信頼が置けないものだと思っているのかな、と思ったりする。ただ、おそらく男性ユーザから「何で嫌だと思ったその時に声を上げないの」といった趣旨のツイートが出て反論がついたのを見かけて、(よくぞ聴いてくれました!)という感想を抱いた。まあまずは問題提起からなのだろう。

 

最後に、ここで「男性も考えてみてください」とこの問題を「男vs女」の構図に持ち込む動きが見えている。これは割と悪手だなと感じている。
糾弾されるべきものは「欲望に関して自他の境界線がわかっていない」かつ「支配欲と性欲を同一視している」かつ「それを実在する他人に対して実行に移した」人間であり、男女の性別はあんまり関係ないのでは?と思う。

この部分がこの運動の難しい点であると感じる。
こういう話題でよく燃えがちな「男vs女」の構図について考えてみたいと思う。
ここではジェンダーとかLGBTQの問題はいったん置いておいて、シスヘテロ男性とシスヘテロ女性について考える。
また、以下の文章は身体が女性である自分の主観や推測を多分に含んでいる事を容赦いただきたい。どうせ書き捨てなので反論していただいてもかまわない。

被害に遭った女性は大体ザックリと見た目で男性を警戒しがちだと思う。(まあ自分もそうだから位の主観です)
何もしてない男性も忌避すべき対象に入ってしまう。男性(とおぼしき見た目をしている)時点で。
そこで避けられる男性が「避けられてもどうって事ない」なら何にも軋轢は出ないと想像される。
ところが不思議なことに理由はどうあれ「(性別を理由に)避けられる」事自体に怒りを憶える男性が結構いるようで、これが「男vs女」の不和の元凶なのではないかと思う。
性別を理由に避けられる事に怒りを憶えるということは、その扱いが不当だと感じているということだと思う。まあ単純に考えてあまりいい気分ではなかろうというのは想像できる。推定何もしてないし。
ただそこで怒りを憶えて女性と見るや叩きたくなってしまうのは「男性として女性に受け入れられなければアイデンティティが崩壊する」という焦りや恐怖が根源にあるからでは?と邪推する。
所謂マチズモというやつではないだろうか。「女性に受け入れられなければ」は「女性を支配しなければ」に切り替わっちゃう殿方もまあいるだろう。
受け入れられなくても支配できなくても別にいいじゃん君は君だ、と誰も教えない。だれもその欲望の扱い方を教えない。
そのうえ女性に無体をはたらくタイプのAVやらエロ漫画やらセックスフィクションが身の回りに氾濫している状況で育てばさもありなん、と思ってしまう。

 

女性の方では、男性への警戒心がどこから来るかと言えば単純な腕力差体力差だけではなく、「性的アイデンティティを傷つけに来るのではないか」という恐怖からではないだろうか。むろん男性にばかり加害性があるわけではない。のだが、とにかく「自衛しろ」だとか「身持ちかたく見えるようにしろ」だとかで男性に軽々しく気を許してはなりませんと教えこまれる。(私の実家がそういうタイプの方針だったというだけかもしれない。ただ家を出てからも自衛しろ、こういう格好ははしたないからやめろという圧力は往々にして感じる)身体が女であるばかりに物心ついた時から女性器という砦の防衛戦みたいな生き方をさせられている、と私は感じている。

これらの差異によって男性は「拒否されなければ性的に受け入れられたと取る」、
女性は「許可しなければ性的に受け入れたわけではない」という認識の差が出るんだろうなと仮説をを立てている。たぶんそういう考えを持ったのは私が最初ではないだろう。

 

しかし、これまで長ったらしくダラダラ脱線を交えつつ自分の観測範囲の男女の行動の差異に関して述べたが、男なら全員こう、女なら全員こう、というわけでは断じてない。そうだったらびっくりだ。

自分も上記のようにバイアスがかかりがちだけれど、今一度ハッキリさせておきたい。

本当に憎むべきは「男の見た目をした人間」という雑なくくりでもなく、「男という見た目であるだけで警戒してくる女の見た目をした人間」でもなく、「己の欲望に同意なしに他人を巻き込み、他人の性的アイデンティティを傷つける人間」なのだ。それを取り違えたまま「男vs女」の構図に単純化されていく流れはあまり建設的ではないし、取りこぼされるものがあまりに多いのではと思う。女から男に対するセクハラとか同性間のセクハラとか。

 

話を本筋に戻す。
私の知りうる範囲においてだが、結局「性」や「欲望」の扱いに関して一定の教育がされていないというのがこれらの性に関する軋轢の根源なのだろうなと予想している。
私はなにもセックスフィクションを規制しろと言いたいのではない。空想や表現は実在の人間の権利と衝突しない限り自由だ。
適宜ゾーニングさえされていればそれでいいと私は思っている。
私の知らないところで何の性癖によるコミュニティが存在していても私にはそれらに対してどうこう言う権利は無い。良いとも悪いとも言わない。

ただ、「君の欲望は君の欲望であって、見知らぬ他人が同意なしに君の欲望を叶えてやる義理はない」とか、あるいは「それは性欲と雑にひとくくりにされた欲望だけど細かく分けると何になるだろうか」だとか、「コミュニケーションによる同意を得なければ、他人の性的アイデンティティに関わる行動を起こしてはいけない」だとか、「君の性的アイデンティティは他人の権利と衝突しない限り尊重されるべきものだ」だとか、そういった男女の関わりなく教育を受ける機会、思索する機会を失ったままに男性/女性であるという性的アイデンティティが樹立されていく、あるいはされてきたというのは中々危ういのではないか?と思う。
ここに来るとLGBTQの権利だとかにも多分繋がってくる。がその話はまた気が向いたら書き捨てるつもりだ。

これからの性教育にはそういった視点を織り込んでいく展望はあるんだろうか。
自分はもう義務教育を終えて久しいのだが、その辺の情操教育はこれからも多分、多分に改善の余地があるんだろうなと思う。

 

もしもこの運動が何らかの結果を結ぶなら、それは男vs女の闘いの結果ではなく、正しい権利の主張とそれを応援する人間に対する後押しであってほしいなと願っている。

願うだけのクソ野郎の誹りはまぬかれないけど。